好きで何度も訪れたり
自分の意図とは関係なく
行く機会が重なったり
縁を感じる場所は
いくつかあるけれど
ある時期のニューヨークには
不思議な熱量で呼ばれていた
そんな言葉がしっくりくる
人生の中で
4回あるNYへの訪問のうち
3回はある半年間に凝縮されている
その最初の訪問は
信頼する方から紹介していただいた
NYで開かれる研修に
参加するために決めた
初めての一人きりでの海外だった
紹介された時
特にNYへの関心もなく
フライト時間も長いし
英語も話せないのに一人で海外は…
と心は躊躇しているのに
NYへ行くことを想像したら
身体は湧き立ち
満ちてくる活力にとまどった
しばらく迷ったあと
この感覚を無いことにできないと
思いきってNY行きを決めた
行きの飛行機まで
ずっと憂うつだったくらい
私の意識は気乗りしていないのに
身体だけはワクワクと
興奮しているようで
こんな経験は初めてだった
NYに着いて
マンハッタンの街を歩いたとき
なんてさわがしい街なんだ…
それが初めの感想だった
そのさわがしさは
騒音というよりは
自己主張が街に溢れていて
空間が密で
なんだか疲れる…
そんな感覚で
フライトと時差ぼけで
疲れた身体にはこたえる
さわがしさだった
マンハッタンからバスで
3時間ほどかかる山の中での
2泊3日の研修を終えて
マンハッタンへ戻った翌日
街を散歩していると
そこにはしばらく忘れていた
自分の姿があった
そうだった
私ってこんなだった
急に自分の身体が
自分に戻ってきたような感覚だった
さわがしさを感じていた街に
快適ささえ感じていた
どれだけ
自分の中にある強さを
抑え込んできたのか
実感した
人種もさまざま
スタイルもさまざま
暮らしている人
働いている人
観光客
ほんとうにいろいろな人がいて
その雑多な多様さの中に
しがらみなく
一人きりでいることに
心から安らいだ
自分であることしか
求められないことも
シンプルでよかった
日本では邪魔になることが多くて
隠そうとしてきた私の強さなんて
ここでは小さくて足りないくらいな
NYの街のエネルギーに助けられて
どんどん自分を思い出していった
社会に出て組織の中で働き
結婚して保守的な地域で暮らし
自分が存在するだけで
何か口にするだけで
角が立つような空気に
波風が立たないよう
無色透明になりたいとまで
願うほどに
小さく縮こまって
自分でも忘れていた姿だった
NYへ行って感じた変化は
自分で感じていただけではなく
帰国して空港へ迎えにきてくれた
夫も感じたようで
帰りの車の中で
離婚の話をされたくらいだった
出口から出てきた姿を見て
これがこの人の本来の姿だと感じ
保守的な地域に馴染めずに
しんどそうにしている姿を
見てきた夫は
自分やこの地域が
この姿を奪っているなら
自由になってほしいと願っての発言だった
帰国後しばらくすると
なんだかもう一度NYへ
行った方がいい気がする
そんな声が何度も
自分の中でくり返される
その声に対して
何の目的で?
目的もなくそれなりの費用をかけて?
問いがくり返されるが
声はおさまらず
自分でもよくわからないまま
2ヶ月後に再びNYへ
飛行機は苦手で
長いフライトにも関わらず
この行きの飛行機は
ちょっと都内に出かけるくらいの
感覚だった
今回も1週間ほど滞在するが
時差ぼけがひどく
前回同様に
3〜4日は使いものにならない
お昼すぎに起きて
軽くフルーツなどを
ホテルの部屋で食べ
午後もだいぶ過ぎてから
ようやく動きだす
街をフラフラと散歩して
時間があれば美術館に行き
夜はWholeFoodsのデリを
イートインコーナーで
目の前の公園を
ぼんやり眺めながら食べる
一人暮らしの休日のような
特別なことは何もない
何でもない日々を過ごす
ただ場所が
NYだということ以外は
何をしに来ているのだろうと
思いながら過ごす日々の中で
自分の中に蓄積していた
澱のようなものが
少しずつ抜けていくのを感じていた
2回目のNYから帰国後
今度はNYの美術館で
予定されている
展示の情報に触れ
とても見に行きたくなる
さすがにこの短期間で
2度も行ったばかりと
一度は諦めるも
しばらくして
その展示の会期が
あとわずかという時期に
再び情報に触れ
やはりどうしても見たくなり
3度目のNY行きを決める
やはり着いて数日は
使いものにならず
会期最後の週末に
なんとかすべりこむように
展示を見にいく
そこはすごい人で
1時間以上かけて
チケットを購入し
人混みの中見た絵は
初めてNYに一人で行くことを
決めた時のように
身体の中から静かに活力が
湧いて出てくるようで
この宇宙の中で
ただひとつの生き物として
自分が存在することが
許されていくような感じがして
ずっと見ていたかった
こうして約半年の間に
3回NYへ行くことになり
その当時は
それが何なのか
自分でもよくわかっていなかった
こうして久しぶりに
振り返ってみると
自分がどういう人間なのか
何度も訪れることで
思い出させてくれた
場所だったことに気づく
あの土地や
そこに集まるエネルギーが
作り出す場によって
自然と立ち上がってきた自分は
とてものびのびとしていて
そんな場所に出会えたことは
とてもラッキーだったし
よくわからないまま
動いてみてよかった
最初に研修を
勧めてくれた方にも
とても感謝している
あまりそういうことを
しない方だったからこそ
本気で行くことを考えてみたし
私の持っているものが
花開くのではないか
という言葉を添えて
声をかけていただいたが
研修でではなかったけれど
NYという場所によって
その方の言う通りになったと
感じている
1回目の帰りに
夫に離婚の可能性を提示されて
その意図を理解していたけれど
離婚してまで
その自由を選ぶことを
ここではしないと
現れ始めていた自分を
一度しっかり
仕舞いこんだ自覚があるが
その時はまだ
その自分を使いこなす
準備ができていなかったのだろう
あれから6年が過ぎて
そろそろその時に仕舞いこんだ
自分と仲良くやっていけそうな
気がしている
3回目の訪問の時に
見に行った画家
ヒルマアフクリントの展示が
先月から東京国立近代美術館で始まり
また見たいと思っていた絵を
ゆっくり見ることができて
とても嬉しかったが
それと同時に
グッゲンハイム美術館での
展示の素晴らしさを思った
あの会場での
あの展示だったからこそ
感じられた絵のエネルギーが
あるように感じ
やはりあの時に
思いきって自分の身体の声に
従ってみてよかったのだと
答え合わせができたようで
嬉しかった