夫のクライアントさんで
数年前まで医師のご主人と産婦人科を
切り盛りされていた方が私の出産の話を聞いて
高齢の妊婦さんなら
早くお腹を閉じてあげなくちゃダメでしょ!
そう言ってくれていたと
夫から聞いて
救われる気持ちになった
人として見てもらえることに
ただほっとした
無機質に感じてしまうことの多かった
大学病院という大きなシステムの中で
ひとつの対象物として
扱われてきたことの違和感
どこか無視され続けているような
共感の喪失
そういったことが
幾度と繰り返される中で
自分はそうされるに値する人間なのだ
という感覚が忍びよってくる緊張
私の中に残っていた
そんなものたちが
一人の方の
温度のある言葉によって
とけていった
帝王切開での出産の見学を
許可したことにより
1時間程度で終わることの多い手術が
3時間近くかかることになるとは
思っていなかった
執刀医の先生が
若い先生に説明しながら進めていく
そこに海外からの研修生もいたようで
さらに英語に訳しながら進んでいく
意識がある中
開腹した状態が続くのは
本当にこたえた
子どもが無事に取り出された後
子どもの検査がされて
近くに連れてきてくれるというのも
そんなことはいいから
早く手術を終わりにして欲しい
そんな気持ちだった
そんな気持ちで出産を迎えている
自分が悲しかった
今振りかえってみると
それくらいその状況に
圧倒されそうになりながら必死に
踏ん張っていたのだろう
バービーが出産の直前に
大きな病院から小さなクリニックに
転院を決断したということを
話されていた動画を見たとき
その気持ちに深く共感した
病院の方たちは
医師も看護師や助産師の方たちも
基本的にみなさんとても親切だった
組織が大きくなり
効率よく動かしていくために
システム化が進んでいくことは
避けられないことなのだろう
でも目的が
システムをうまく
回すことにバランスしてしまうと
人が生きていく上で大切なことが
システムを越えられなくなってしまう
それはそこで働く人にとっても
利用する人にとっても
不幸なことのように感じた経験だった
産後ケアでお世話になった
いくつかの小さなクリニックでは
みなさん個人の顔を持ちながら
楽しそうにお仕事されていた
産後初めて訪問したとき
妊娠出産を通して
病院と関わる中で
初めて感情を持つ人間として
対応してもらえたことに
気が緩んで泣きそうになってしまった
システムと個人
どちらが優先されるのかは
組織の大きさにも関係するのだろう
より便利に効率よく
社会が変化していく中で
人が生きることよりも
システムが優先されてしまうことは
これから様々なところで
増えていくのかもしれない
無意識でいたら
私たちもいつの間にか
システムに合うように
自分たちをシステムに寄せていってしまう
そんな流れが加速していく中で
どう人間らしく生きていけるのか
予想通りにいかない
時に複雑に入り組んでしまうこともある人生を
面白がれる柔軟性や流動性をもっていたい
自分の中に生じる違和感を
自分くらいは否定せずに
いてあげようと思う
オードリータン氏が好きで見たこの動画に
優秀な方たちが新しいテクノロジーを使って
作るシステムが社会を良い方へ変えていく可能性
があるのだと希望を感じた