高山なおみさんを
訪ねた動画をみて
人が
ただその人である
そのちからについて思う
映像をみて
そこに流れる音を
聞いているうちに
わたしがわたしに
かけている負荷によって
固くなっていた
力みがほどけていく
自分じゃない形になろうとして
でこぼこしていた
自分の輪郭が
すーっと
本来のおさまるところに
もどっていく
その力みのなさ
久しぶりに思いだす
自分でいられる安心に
これで充分じゃないか
私はいったい何に
なろうとしていたんだろうと
不思議な気持ちになった
自分をただ見て
変えようとしない
なにものかになるのではなく
ただ自分でいる
そのあり方は
まわりの人たちに
本来の姿を
スイセイさんの言葉を借りれば
その人のもつ泉を
思い出させていく
ちからがある
動画のなかで紹介されていた
スイセイさんの言葉がすばらしかった
それでええんよ、みい
言葉ではいいようのない実態いうもんがあるんよ
いいようのない実態は、なすがまま、自由にしておればええ
行いは、あとから自然についてくるけえ
おれらはこの世に生を受けて、生きるエネルギーのようなものが、ひとりひとりにそれぞれ備わっておるんじゃけど、おれらはの、生きとる間にそれを全うせんにゃならんのんよ
それは、泉みたいなもんなんよ
ひとりにひとつずつある泉
ほいじゃけえ、泉から湧いてくるものがあったら、惹かれたり、どうしてもやりたいことがあったら、いつかはそっちに行ってやらんと、仕方がないんよ
(日々ごはん 2015年11月6日より)




