オンラインでsomatic experiencing®︎のセッションを続けられているクライアントさんよりいただいたご感想をご紹介させていただきます。
ご感想ありがとうございます。
昨日のSEセッションでは、画面に背中を向けたポジションで始めましたが、これまでも背中を向けることはありましたが今までと違っていました。
実際の距離はともかく、意識としてはあまり距離を取らずに、画面の向こうの鈴木さんの声をかなり近くに感じながら、すぐ後ろにいるような距離感を持ちつつの時間でした。
意図をもってそうしたというよりは、なぜかそうなりました。わざわざ苦手なシチュエーションを選んでしまったことになりますが、本当に嫌だったらまた位置を変えようと思いながらスタートして、結果的にそれは必要ありませんでした。
前回のセッションからも本当にいろんな気づきがありました(新しいものというよりも、気づきがさらに深まったような感覚の方が多かったかもしれません。うっすら気づいていたけど、それらが表面に浮かび上がってきて、よりはっきりと自覚が促されていくようなプロセスが続いている感じ)。
治そうとかよくしようという視線は否定から始まっていて、小さな頃の自分を否定するようだとも感じていて、天才バカボンの「これでいいのだ」じゃないですが、頭ではそれを分かっていたつもりで、仕事上でも人には言っているのに、自分に対しては観念的にしか言えてなくて、心から自分の状態や自分の存在そのものを「これでいいのだ」と思えていなかったなと、改めて感じました。
最初の頃に逆戻りしたような腰痛を感じたときに、その自分に向ける視線が父の視線のようだでいやだなと思いました。
私がどもって話すたびに「そういう話し方をやめなさい」「もっとゆっくり」「もっと落ち着いて話しなさい」とか父や学校の先生や周りの人たちに言われていて、小さな頃の自分はどもることを意識(自覚)していなかったので、そのとき話したいことをただ口にしているだけなのに、内容なんてどうでもいいみたいで話し方をつねに監視されているようで嫌だったこと。
そして、それを治すためにいろんなクリニックみたいなところにこっそり(他のきょうだいにも内緒で恥ずかしいことのように)通わされたこと、子どもながらもその先生たちは皆的外れに感じていたこと、親や先生のの期待に反して全然治らなかったこと、などなど。
あの頃嫌だったことを今は自分で自分にしているなぁと気づいて、衝撃でした。
薄々気づいていたような気もするけど、はっきりと自覚できました。
今回のセッション直前にも、小さな頃からよかれと思って親や周りの人たちがしてくれることが苦痛でしかなく、放っておいてほしかったこと、でも、それを拒むと相手が怒り出したりするなど、いろんなことを思い出していました。
セッション前もセッション中も、この、よかれと思って善意でやってくれることを嫌がったり拒むことで相手が不機嫌になったり逆上するのを怖れていたこと、とくに、大事にしたい人間関係のなかではその嫌だという気持ちやからだの反応が出てくることをおそれていたし、できるだけ抑えてきたことに、改めて深く気づく時間だったように思います。
いつもセッション後は、何か予定が入っていないとなかなか動けない感じがあって、どうでもいい暇つぶしの逃避行動を長々とやってしまったりするのですが、昨日のセッション後はとくに予定が入っていなかったのにスムーズに次の行動に移れていて、我ながら感心していました。
今日も、なんだか分からないけどなんとなく元気で、少し顔も気持ちも上向き加減な感じです。
これはセッション前もうっすら感じていたのですが、自己効力感みたいなものも感じられていて、その感覚はうれしいです。
腰とか背中の辺りの痛みや違和感、不快感みたいなのは、あるけどセッション前よりは軽減している感じと、セッション前より座りやすくなっているのはわりとはっきり感じています。
セッション中鈴木さんに、私の背後の空間に遠隔でタッチしてもらった後、後ろに寄りかかるような動きと、そのあと前側に戻していくような背骨の動きがあったのも、関係しているのかもしれません。




