4年ほど前に遠隔をご希望いただいたことをきっかけに、オンラインでのsomatic experiencing®︎、yieldのセッションをご提供させていただいているクライアントさんのこれまで受けてこられたご感想をご紹介させていただきます。ご感想ありがとうございます。
私自身、この1年は苦しいことが多い日々でしたが、この時期に長い期間苦しさを抱えながらもご自身の人生に真摯に向き合いながら取り組まれてきた方々が、人生の主体を取り戻され流れを変えていく姿を拝見することが増え、その姿にほんとうに励まされてきました。
ご自身を諦めず信じ続ける姿は
美しいといつも感じています。
セッションをご利用いただいているみなさま
これまで受けていただいてきたみなさま
ありがとうございます。
このブログを読んでいただいている
まだお会いしたことのない方も
いらっしゃるのかもしれません。
そんな方々に支えられていると
感じることの多い日々でした。
みなさまありがとうございます。
「この方のセッションを受けてみたい」、鈴木さんのブログを拝見し、遠隔セッションをお願いしたのが始まりでした。
当時の私は、内面的にひどく混乱していて、どうしたらこの状態から抜け出すことができるのかまったくわからず、お手上げの状態でした。
直観に導かれた出会いでしたが、遠隔セッションを受けることで、どうしようもなくもつれていた糸が少しづつ少しづつほぐれていくのを感じていきました。
最初のころは、ただただ苦しくてそれをなんとかしたい一心で、もう無我夢中でセッションを受けていました。遠隔セッション後にいただくメッセージがすべて的を得ていて、自分はこんな状態だったんだ、それで今このようなことになっているんだ、ということが徐々に分かっていくことで安堵するとともに、いただいたアドバイスを忠実にこなしていくという日々を過ごしていきました。
セッション後、苦しい気持ちが湧いてきてどうしようもない時には、その都度助けを求め、的確な助言で毎回助けていただきました。そのセッションの素晴らしさ、その技量に、時には鈴木さんに頼り切ってしまいそうになることもありましたが、いつもこの状況を乗り切っていくのはあなた自身なのですよ、という言外のメッセージを感じ、そのセッションに魅せられていきました。
セッションの回数を重ね、私は大きく支えられているという安心感を身体が感じ取ることができるようになってからは、いまはこんなに苦しくても先々は必ず開けてくる、という確信を持てるようになり、セッションを手掛かりにして、前向きに一歩一歩進んでいこう、という気持ちがどんどん強くなっていきました。
遠隔セッション、SEセッション、今はyieldセッションが気に入り、主にお願いしていますが、どのアプローチも本当にすばらしく、そのときの自分に必要な変化が必要なだけ起こっていくのを毎回感じています。
セッションをお願いしてから数年経ちましたが、1回1回のセッションが本当に濃く、そのたびに現れてくる諸々を乗り越えていくつらさ、苦しさは当然ありましたが、今振り返ると本当にあっという間だったと感じます。
去年夏にお願いしたセッションの最後、身体のうんと深いところから絞り出されてくる涙、それが全身の毛穴からじわじわと染み出してくるのを感じつくしたら、なんだか夢から醒めたような心地がし、ああ、いままで人生で起きてきたことはすべて夢だったんだ、と強く感じたことが大きな節目となりました。
それを境にして、喜怒哀楽に大きく振り回される自分がいなくなっている、どんなにうれしいこと、つらいと思うことがあってもそれに引っ張られることなく、ほどなくニュートラルに戻っていくことが出来る自分に気が付きました。
セッション時に、鈴木さんにその時々の自分の思い、感じていることを言葉にして聞いてもらったり、それについて様々なアドバイスをいただいたこともとても大事な時間でした。
境界線について教えていただいたことも本当に大きなことでした。今までは、何かあると自分に侵入されているような気になったり、それを防ごうとして過剰に反応したりしていたけれども、人とのやり取りに変な緊張をすることもなくなって、自然な自分を出せるようになっています。話の分だけセッションの時間は短くなってしまうのですが、その時に必要なことは必要なだけきちんとその都度起こっていて、セッションは時間の長短には関係ないのだな、ということも強く感じています。
身体的には、身体が緩んで、ねじれがどんどんほどけているのを感じます。普段、ふとしたときに体がリラックスできていることを感じられるし、そのときの呼吸はゆっくりと大きく深く、身体全体に呼吸がいきわたる感じで、自分の身体にくつろいでいられるときには、自然と深呼吸ができているんだ、ということも大きな発見です。
以前は、人生はやるべきことのオンパレードでしたが、生きることは喜怒哀楽を味わうためのもの、面白みに溢れていることなんだ、と思えるようになってきています。
今までは、なにか不都合なことがあると、自分の殻に閉じこもってまず思考で何とかしよう、正しいゴールを勝手に設定し、それに至るまでの手順はこれしかない、と思い込んで自分一人であがいていましたが、大事なのはゴールに到達することではなく、その過程で起きる出来事ひとつひとつに対応していくこと、そこに喜怒哀楽が生まれ、それをただ感じていくこと、それがどこにつながるのかはわからないけれど、それが生きることなのだ、と思えるようになっています。
日常がとても穏やかに過ごせていることを感じます。以前は家事をするのにも、あれもこれも早くこなさなくては、とせかせかとせわしなく家を歩きまわっていましたが、今はそうしようと思わなくても、ひとつひとつを自然と丁寧にこなしています。
イライラしたり、気分が変に高揚したりすることも激減し、すこしでもそれを感じると、ん?というセンサーが働いて、これはいったいどこから来ているのだろうか、と自分の中をさぐることができるようになっています。
今まで生き抜いてくる中で、そのやり方は自分を窮屈にさせてきた、というパターンにも気付くことが多くなり、その癖が出てくると、あ、またこの態度で対応していこうとしているな、修正していこう、ということもずいぶん出来るようになってきています。
なにかをして、なんだかもやもやするなあ、と感じるとき、その違和感を感じてみると
たいてい「いい人仮面」をかぶっている、きちんとしなくてはいけない、プラスの成果を得なくてはいけない、と自分を縛っていたことにも気づきました。
喜怒哀楽の大きな振れがなくなってから、周りがよく見えるようになり、行動の前にワンクッションおけるようになったこともとても大きいことです。今まではなんでもやみくもにやりすぎてしまうことが多かったけれど、このワンクッションができたことで、自分を客観的に見ることができるようになり、あ、やりすぎているな、という自分に気が付くことができ、まあまあ、適当なところで、という自分を自然とできるようになっています。
自分に余裕ができたせいなのか、普段の生活のなかで触れ合う人々から親切、好意的な態度を受けることがびっくりするくらいに増えました。いままで不愛想だなあ、と思っていた店の人に満面の笑みで対応された時には、ほんとうに驚きました。
感情の大きな揺れが収まってきて、初めて過去のいろいろな出来事に冷静に対峙し、理解しようとすることができるようになってきたし、納得できたことに対してはそれを受け止めることができるようになってきたと思います。
自分はいままで本当に頑張ってきたのだ、よくやってきたなあ、と頭ではなく身体を通して心の底からしみじみ感じられるようになってきています。それとともに、自分を本当にいたわって大切にすることが出来るのは自分だけ、本当に大事にしてあげよう、という思いも強くなっています。主導権が自分に戻ってきた、という感覚もめばえてきています。
新たな課題はまた見つかっているけれど、それに対峙することで何を思うのか、その先になにが現れてくるのか楽しみに思いながら、自分のペースでこの歩みを一歩一歩進めていこうと思っています。




