少し前に高尾で開催された空間身体学のワークショップに参加してきました。
そこで経験した感覚は新しいものでした。
その感覚を容易に言葉にすることができなくて、言語化せずにその体験から静かに広がっていくプロセスに身を委ねていたいという思いもあり、しばらくほうっておいたのですが、自分へのメモとして今回の体験を残しておこうと思います。
今回のWSで印象的だったことのひとつが、ペアを組んでワークをした後の感想の中で多くの方がワークを始めた時に、周囲が気になって集中することが難しかったと話されていたことでした。
私も同じような感覚がありました。
今まで参加してきたWSでは、ペアを組んでワークする時に相手の方と自分、2人を取り巻く周囲の空間という関係性の世界へすっと入っていけることが多かったのですが、今回午前中のワークの時には、相手の方との関係性を感じつつも、周囲の空間、その場にいる他の方々へ向かう知覚の方が強く、2人の関係性の中でワークを進めるのは早々に諦めて、その状況へ身を委ねてみることにしました。
そこで感じられたことは、その場全体、参加されている方それぞれみなさんとワークしているような感覚でした。
それはどこかオーケストラのようで、最初のうちは各々がそれぞれの身体という楽器で個性のつよい音を鳴らしていて、オーケストラ全体としてのハーモニーにいびつさがあり調和されていなかった音が、個々の楽器の音色に気持ちのよい響きが生まれ、少しずつお互いの音色が響き合い広がっていくようでした。
響きが重なり合い調和されていくにつれて、身体はその流れに沿うように反応し始め、周囲の環境も気にならなくなっていきました。
周囲の方のそれぞれの鳴らす音、響き合っていくハーモニーを感じ取りながら、自分のパートを微調整していく様子にふと意識が向き、やはり主旋律を奏でるようなパートではないのだなという自分の身体の傾向への気づきもありました。
人にはそれぞれの身体が持つ個性があり、
主旋律を奏で、流れの方向性を生み出していくことが得意な身体もあれば、
主旋律をより引き立てるような音で、その流れに厚みを持たせていくことが得意な身体、
その音が直接的に耳に届くような目立った音ではないけれど、その音があることでオーケストラ全体のハーモニーに広がりと深みが出てくるパートを担う身体、
ここぞという時に音を鳴らし場を盛り上げ、流れに緩急をつける打楽器のようなパートが得意な身体、
いろんな個性があり、様々な人がその人自身の音を奏でるからこそ、美しい豊かなハーモニーが生まれるのだということを身体を通して感じる体験になりました。
社会の中では、主旋律を奏でるような人を惹きつける魅力がある方に注目が集まり評価を受けやすいので、それが成功だと多くの人が同じような場所を目指し、そうではない自分への評価を低くしてしまうということをしてしまいがちですが、
それはすごくもったいないことだと今回のWSに参加して改めて思いました。
自分の身体を生きることは、自分自身や社会の豊かさや快適さに通じている。
いろいろな人がそれぞれのパートを奏でているからこそ世界は面白く、
多様性が生む意外性の中に生きる活力があり、新しい芽が開いている。
そんなことを感じました。
こうして振り返ってみると、それはオーケストラというよりジャズセッションに近かったようにも感じます。
決まった型があるわけではない、その場かぎりの即興のダイナミクス。
普段より大きなその響き合いを自分がその場で感じていた以上に身体は楽しんでいたようです。
WSが終わった後は新しい取り組みにへとへとで、
車を運転しながらの帰り道、途中でしばらく休まないと帰れないほどでしたが、
翌朝起きてみると、身体は軽くて通りが良く、静かなエネルギーに満ちていました。
私たちは開いたり閉じたりしながら、周囲と交流し生きています。
行き過ぎた環境や人からの隔離は、私たちの健康-wellbeingという視点から見た時に損なわれていくものが大きいのではないかということもつよく感じました。
このような状況の中、WSを安全で快適な流れのうまれる場としてホールドしていただいた講師である田畑さんと企画運営の串崎さんの存在は、その場での大きな安心となり、新しい経験を好奇心を持ちながら楽しむことができる道しるべになりました。
身体が窮屈さを感じやすい今の社会の中で、
身体の快適さを思い出し、この環境の中でどんな自己調整ができるのかという探索を通して、こんな風に自分の中に快適さを見つけていけるのだという新しい可能性を身体を通して気づかせてもらえたWSでした。
ありがとうございました。
最近はともに暮らす動物たちに仲間に入れてもらいながら空間身体ワークを楽しんでいます。