バーストラウマ

somatic experiencing(SE)のトレーニング中に
クライアント役として練習をしていた時
そのセッションの終わり頃に
頭頂部を上に向かってプッシュしたいような
身体の反応が出てきたことがありました。
 
 
時間が終わりに近づいていたので
そこで身体の反応を追うことはせずに
終わりにしたのですが
その時のアシスタントの方から
バーストラウマの反応かもしれないね
そう言われていました。
 
 
 
その日の夜に
セッションの予約を入れていたので
もし必要があれば
その時に続きの反応が現れるだろうと
プラクティショナーの方には
練習での出来事は特に伝えずに
セッションを始めていきました。
 
 
 
セッションが進んでいっても
練習で出てきたような動きは見られず
今回のセッションでは出ないのかもしれないなと
自分の身体反応をしばらく追っていると
頭頂部をプッシュしたいような
反応が現れてきました。
 
 
プラクティショナーの方にお伝えすると
すぐにバーストラウマと判断され
その動きを身体がやりやすいようにと
お部屋をセッティングしていただき
 
私は部屋の畳の上に横になり
壁に両足の裏をつけ
頭部をサポートしていただきながら
足を踏ん張り
脊柱を捻りながら
頭頂部の方向へ押し進んでいく動きを
しばらく続けていきました。
 
 
 
動きのサポートを受けながら
首や背中をねじり
足を使い
頭頂部方向へ
しばらく押し進んでいくと
ちょうど畳の部屋から頭が出たところで
 
 
「あ、出た」
 
 
そんな感覚になりました。
 
 
 
産道を通って
外の世界へ出た
身体の再体験だったように感じています。
 
 
 
 
それと同時に
その体験を終えた時
 
産まれてから今まで
自分の人生には
薄くぼんやりと
「欲求不満」
の膜がかかっていたのかもしれない。
 
そんな感覚にもなりました。
 
 
 
 
身体のさまざまなところを使いながら
産道を通って産まれてくる過程の中で
やりきれていなかった未完了の動き
使われなかったエネルギーが
残っていたのかもしれません。
 
 
 
「産まれ出る」という
外の世界に出てくる最初の動きに
未完了なものが残されていることで
欲求不満のような
何かを解消しきれていない
歯痒さのような感覚が生まれ
身体の深いところに
意識するともなく持ち続けてきた
その感覚に気づき
 
 
あぁ
あの感覚はこれだったのか。
 
 
答え合わせをするような
時間でもありました。
 
 
 
 
産まれた時から
すいぶんと長く
一緒にいた感覚だろうと思いますが
自分にあるその感覚を
はっきりと自覚することはありませんでした。
 
 
 
 
多くの未完了の動きやエネルギーは
その動きが完了し
自分の中から残されたエネルギーがなくなった時に
始めてそこにあったことに気づきます。
 
 
 
 
 
自分の不調や違和感の原因がよくわからない
それはよくあることだと思います。
 
 
特に発達トラウマと言われるような
感覚と言葉が結びついていない頃の
意識的な記憶として残らないような
未完了の動きや体験は
自分でも気づくことなく
身体の奥深くに残されたままになり
静かに、時に激しく
感覚や身体の症状を通して
メッセージを送ってきます。
 
 
 
 
 
 
赤ちゃんが産道を通って
自力で産まれてくるその過程は
とても大事なものだと言われています。
 
 
私の今回の出産は
予定帝王切開での出産だったので
その体験を子どもに
させてあげることができないことが
決まっていました。
 
 
以前の私だったら
その事実に不安を感じたり
子どもに申し訳ない気持ちに
なっていたかもしれません。
 
 
 
バーストラウマの体験から
いつからでもその体験を補うことはできることを
経験していたので必要なタイミングで
できることをしていこうと思っていました。
 
 
 
 
 
出産後、子どもと退院して
授乳とオムツ替えを繰り返す日々が
始まりましたが
 
その中で
子どもが激しく泣いている時に
目を見開いて何かにびっくりして
怯えるような顔で
泣いていることが時々ありました。
 
 
それを見ていて
出産時の体験が関係しているのでは
そう感じることがあり
そんな時には声をかけるようにしていました。
 
 
 
自分のタイミングではなく
急にお腹を切られて
手術室の明るい部屋に出されて
ずっと繋がっていた
母親の身体からも引き離され
一人で丸一日過ごすことは
どれだけ不安なことだっただろう
 
 
 
怖かったね。
もう大丈夫だよ。
ここにいるよ。
そばにいるよ。
 
 
 
そう声をかけてみると
ふっと緊張が緩み
泣き止み
静かに落ち着いていきました。
 
 
 
 
夫にその事を伝えていたら
夫も子どもが激しく泣いている時に
私の話を思い出して
声をかけたら
すーっと落ち着いたと話していました。
 
 
 
ここ最近は
家に帰ってきてすぐの頃に見られた
何かに怯えるような顔で
激しく泣くことはなくなっています。
 
 
 
 
こうして赤ちゃんは
出産やお腹の中での体験を
自分なりに解消しようとする動きを
いろいろ見せてくれます。
 
 
その姿を見ていると
今不快なことがあって泣いている姿と
ちょっとした不快なことが引き金になって
残されている未完了な反応が刺激されて
過去の体験の中で泣いているような姿には
違いがあるのが見えてきます。
 
 
 
あくまで私が感じて
仮説の中で
できる事をしているので
それが正解なのかはわかりません。
 
 
 
いろいろなことを想像しながら
その時にできることを重ねていると
子どもの反応が
少しずつ変わってくるので
その様子を見ながら
時間をかけながらゆっくりと
子どもの発達を見守っていきたいなと
思っています。
 
 
 
 
初めてのわからないことばかりで
トライアンドエラーを
繰り返す毎日ですが
この日々がどのような結果に
つながっていくのか見えてくるのは
もう少し先のこと
 
その時に
間違えてたな…となれば
またそこから調整をしていこう。
 
 
私たちにはいつからでも
身体の自由を取り戻していく道が
開かれている。
 
 
そう信じて
今に生きることに
常に引き戻してくれる
赤ちゃんとの今だけの日々を
味わっていこうと思っています。