これから何度も

私の中にある
悲しみは
小さな頃から
自分の一部で
人生の中で静かに
鳴り続けてきた音だった
 
 
 
深い海の底のような
音や光のとどかない場所に
いるのが常だった頃は
その悲しみや孤独は
私の居場所であり
休息する場所だった
 
 
 
 
 
GIMという音楽療法を
数年前に受けた時に
あらゆる感情が凍りついて
何も感じられなくなっている
表情の乏しい子が
出てきたことがあった
 
 
 
その子を眺めながら
これだけ凍りついていたら
とけていくのには
長い時間が必要だろうと
感じていた
 
 
 
その時に現れた世界の中で
祖母や母たちが
のびのびと楽しそうにしている
姿を見ることができて
ようやくほっとして
少しだけ
凍りつきがとけていった
 
 
 
その子には
どんな言葉も
届きそうになくて
私はただそばに居た
 
 
 
 
 
 
 
少し前に久しぶりに
身体の中で
大きく鳴り響いていた音が
どこから響いてきているのか
すぐに気づかないほど
最近の私は
以前の海の底から
離れたところにいるのだろう
 
 
 
 
 
 
 
これから何度も
何かをきっかけに
深く潜り
底に触れるたび
私の中にそれがあることを
知らされるのだろう
 
 
 
今は
これがなくなればいいとも
このままでいいとも
思ってはいない
 
 
 
 
きっとこうして
人生の中で
何度も触れるたびに
少しずつ
本当に少しずつ
とけていって
聴こえてくる音も
変わっていくのだろう
 
 
 
 
 
 
 
そんなことを思っていたら
久しぶりにシーモアさんの
映画が観たくなって
一日流して聴いていた
 
ここに流れている音と静けさは
それでいい
求めるものを追い続けなさい
そう言ってくれているようで
時々聴きたくなる