まだ社会の色が
なんにもついていない
子どもと向き合っていると
自分についている色が
よく見えてくる
子どもと向き合うことは
自分と向き合うこと
今しかない存在と
向き合うほどに
自分の過去が
浮かび上がってきて
その重さに
何度も驚いてしまう
感覚の世界で
生きている子どもの
潜在的な身体的記憶が
世界や人に対する
安心や信頼であったらいい
そう願いながら
何度も何度も
安心をかさねていく
そこが充分に
満たされたのなら
きっと彼は自由に
自分の世界を
広げていくのだろう
私にできることは
自分の人生に
くつろいでいること
それぐらいなんじゃないか
そんなことも思う
それを意識してみると
なかなか難しくて
こんなにも
緊張しているのか
不安を感じているのか
そんな自分に気づく毎日
子どもが産まれる
何年も前から気になって
Amazonのカートに入っていた本を
購入して読んでみる
その中にこんな一節があった
子どもにかぎらず人間というのは、
かならずよくなる方向に自然に向いているわけです。
けがでも、ほうっておいたって、かならず治る方向へいくわけでしょう。
人間の体というのはかならず治るほうにいく、よくなるほうへいこうとするのです。
あるいは成長しようとする、発達しようとするのです。
そのシンプルな事実に
涙が流れた
なんの涙だったのだろう
希望を感じたのかもしれない
人間に
私自身にも
もっと力を抜いていい
だってどうしたって
よくなろうとするのが人なのだから
そう言ってくれているようで
その先にはこう続いていた
もちろん老化ということはありますけれど、とくに元気さがりの子どもなんかは、すべてのことがかならず、いいほうへ向かおうとしているのです。
だから、じゃまをしなければ、みんないい子になって、個人差はありますが、子どもなりの素質と能力で、みんな発達していくわけです。
ですから、待つという姿勢ができましたら、もうこれで、人でもなんでも育てることの名人になれると思います。
このことは草花を育てるのも、野菜を育てるのも、果物を育てるのも、人を育てるのもまったくおなじで、ひそかに最善をつくして、じっと待っていればいいのです。待つことに楽しみや喜びを感じられるようになったら、人でも、ものでも、育てるのは上手になりますよね。
「子どもへのまなざし 佐々木正美」
このことはセッションを通して
たくさん見せていただいてきた
景色と共通するものだった
身体にとって
必要なスペースや場が準備されたら
あとは身体を信頼して
ただ待っている
そうしているだけで
身体は自らその時に必要な動きをし
調整されていく
私たちが
自らの動きを
固めてしまったり
歪めてしまう背景には
充分なスペースや
待つともなく待っている
そんなまなざしが
足りていなかったということも
あるのだろう
この本を読んでいると
人間への深い理解と希望
人間という存在へ向けられた
切実な祈りのような
願いや愛
それに触れて
泣きそうになってしまう
いつからでも
できることがある
それが希望