ほうっておく

ほうっておくこと
ほうっておかれること
 
 
その大切さについて
最近よく考える
 
 
 
 
 
 
 
甲野善紀さんが話されていた
言葉を思い出す
 
 
 
「ほうっておくこと
 
 
私たちは他人からの指図は好まない
それは攻撃である
 
 
自分からの指図も好まない
それは働きとしてよくない
効率がよくない
 
 
自分で何かをしようと
一生懸命努力するのは
効率がよくない
 
 
確信をもってすべてを投げ出す」

 
 
 
 
 
 
ほうっておくことは
その対象の存在を
無視することでも
放棄することでもなく
 
 
その存在を感じながら
なにもしないでいること
なにかをしようとしないでいること
 
 
入口と出口が開かれた場所で
待つともなく待っていること
 
 
そこには広々とした
スペースと流れがある
 
 
 
 
 
 
 
 
自分のことや
大切な存在ほど
ほうっておくことは
時にとてもむずかしい
 
 
 
 
 
 
状況や関係性のなかで
さまざまな反応が立ち上がり
自分のことや相手のこと
状況をコントロールしたく
なってしまう
 
 
 
 
 
身体の中に残されている
反応するきっかけとなる
エネルギーが抜けていくと
コントロールしたいと
つよくハンドルを
握りしめていた手は
自由になる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
河合隼雄さんが言う
見守ることの大切さと
その難しさ
 
 
 
プリミさんの言う
一度すべてを受け入れてから
適切な距離をとる
 
 
 
それらは同じことを
表現されているように感じる
 
 
 
 
 
 
 
 
そんなあり方に強く惹かれ
初めて河合隼雄さんの本を読んだ
10代の頃から少しでも近づきたいと
さまざまな示唆を含んだ言葉に
出会いながら探求を続けてきたように思う
 
 
 
 
それは今でも変わらない
 
 
 
 
今はyieldというフィールドを通して
その探求を続けているけれど
きっとわかるという終わりはなく
その果てしなく広がる世界の中で
探求を続けることは
ほんとうにおもしろい
 
 
 
 
 
 
 
 
ほうっておくことは
間合いとも
表現できるかもしれない
 
 
 
 
自分自身や
周囲の人
環境と
どんな間合いを
とっていくのか
 
 
 
 
子どものころに
どんな間合いの中で
過ごしてきたのかは
自分の間合いの癖に
あらわれるけれども
 
 
 
 
この世界は
たくさんの可能性に
ひらかれていて
そこにはさまざまな
間合いがあり
いつでも選ぶこと
選びなおすことができる
 
 
 
 
 
 
 
 
ほうっておく
確信をもってすべてを投げ出す
それは身体性に根ざしている
 
 
 
 
 
いろいろなことが
因果関係を超えて
スムーズに進むとき
その流れのなかには
確信をもってすべてを投げ出す
瞬間がいつもある
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ほうっておく
をとおして
自由な場の体現や
確信をもってすべてを投げ出せる
瞬間の体現を
探求していきたい
 
 
 
 
 
 
これからも
この広い世界の中で
身体という道具を使って
遊んでいきたい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「肉体言語で考えてごらんよ。」
ほぼ日での糸井さんと安宅さんの対談
久しぶりに読んだらやっぱり面白かった。