CS60

先日、CS60の新規のお問い合わせをいただいた時にCS60の施術の強さについて質問を受けました。
CS60の施術についてHPで充分な説明が出来ていないので、CS60をどのように提供しているのか、今の私の考えを少しここでお伝えしようと思います。

 

CS60を手にすると、5日間の研修を受けます。
CS60青山本部での研修では、かなり強めの圧をかけながら全身に対して施術をする方法を学びます。
本部で受けることができる施術も基本的に強めの圧をかけて行われるので、多くの場合かなりの痛みを伴います。
私も何度か青山本部で施術を受けたことがありますが、痛すぎて笑っているか、ずっと悶絶しながら、言葉にならない声が漏れ出てしまうような痛みに耐えながら受けていました。
その痛みがCS60によって身体に溜まっているものが抜けているサインとも言われています。

 
上記のような施術を提供される方が多いと思いますが、私は基本的に強い痛みを伴うような施術は、現在提供していません。
お身体のそれぞれの場所の状態に応じて多少の圧を加えたり、軽く擦ったりしながら、その時のお身体にとってちょうど良い深さを調整しながら進めていくので、痛みを我慢しながら受けていただくような強さでは行っていません。

 
今のような形になったのは、
溜まっているものを抜いていく時に強い痛みが必ずしも必要ではないという経験を重ねてきたことと、私自身が強い施術を受けて大きくバランスを崩した経験があるからです。

 

CS60を受け始めた初期の頃、お腹へのアプローチがかなり痛く、声を出しながら受けていたので、ある程度加減しながら施術をしていただいたのですが、ある時、お腹のあるポイントで「あ、それ以上は厳しいかもしれない…」と感じながらも、それを受け入れてしまったことがありました。
そこから身体のバランスが崩れ、ずっと身体の中で不協和音が響いているようで、身体とともにあることが快適ではない状態となり、そこから回復するまで2か月ほどかかりました。

 

私自身、介入に敏感、というよりかなり過敏なので、その時に身体が求めていない一線を外部から介入されたり、無理に矯正されるようなアプローチがとても苦手です。

 
痛みや溜まっているものだけを指標、主軸に施術を進めてしまうと、受け手の全体性を損なうことがあります。
 
 
一時的に何らかの理由で身体に滞りを生じているような場所は、多少強く行ってもただの痛みとして抜けていきやすいのですが、
身体の記憶と結びついているような、ある程度の時間の経過とともに生じている滞りのある場所にアプローチを行う場合、その滞りと関係の深い記憶や身体感覚が同時に表れることがあり、身体の声を聞きながら進めていかないと、その方がその滞りを持ちながら調整していた身体全体のバランスを崩してしまう可能性があります。
 
 
このような理由から普段のセッションの中では、
身体とコミュニケーションをとりながら、身体が提示してくれるものをCS60で抜いています。
そこに滞りがあっても、身体にとってその時に扱うタイミングではないものや、身体が望んでいないものを抜くというアプローチはしていません。
身体が扱うことを求めていないもの、その滞りを一方的に不要物として扱い、こちらから無理に抜いていくということは少し乱暴なように感じています。

 
人は一面的なものではなく、多面的な存在です。
身体にはここまで生きてきたプロセスがつまっているので、それがどのようなものであれ尊重したいし、されるべきだと思っています。

 
 

以前、お身体の印象がとても遠慮深いクライアントさんへのCS60のセッションを提供していた時、
深いところに溜まっているものを感じ、そこへアプローチをしようとすると「あなたの手を煩わせるわけにはいきません」とばかりにCS60でアプローチしていた流れとは違うところへその滞りを持っていかれて、ご自身で調整されているように感じることがありました。
そのセッションは、その身体の動きに合わせて、私は滞りの場所を身体にお伝えし、ご自身で調整しやすいようにサポートするような流れになりました。

 
このケースは一つの例ですが、CS60にどのように反応されるかはクライアントさんのお身体に応じて様々です。
お身体の動きや流れに耳を澄ましながら、そこへ可能な限りCS60とともに寄り添えたらと思っています。

 
 
これまで身体的、精神的に外からの圧をたくさん受けてきたような方や、介入に敏感な方は、強い圧をかけない施術をおすすめしています。
どのようなアプローチが合うのかは人によって違い、またその時の状況や時期によっても変化するので、CS60を求められる方々がお身体の声を聞きながらご自身の好みに合う方法で提供されている方とご縁があることを願っています。