発達トラウマと生理不順

以前のブログでも書きましたが、
私自身、somatic experiencing(SE)のセッションを3年間のSEトレーニング期間中に30回以上受けてきました。
トレーニング期間の前後も含めると回数は40回以上になるかもしれません。
 
 
それは、SEをより深く理解するためでした。
何事においても理論だけを聞いて理解することが得意ではなく、身体を通して経験し、体感しないと内容が腑に落ちないので、自分の身体を通して少しずつ理解していこうと考えていました。
 
 
もうひとつの理由は、クライアントさんへより安全で快適な場を提供できるようになるために、私自身がよりニュートラルにその場に居ることができるようになるための取り組みでもありました。
SEのようなトラウマに関わるワークの際には、プラクティショナーが自分自身のトラウマに取り組み、自分のトラウマについての理解を持っていることが大切です。
自分への理解がないままセッションを行うと、そのセッションの中でクライアントさんに起きている反応の背景を読み間違えたり、プラクティショナー自身が感じている反応に落ち着いて対応することが難しくなることで、クライアントさんへ安全な場を提供できなくなることもあるからです。
 
そのような理由もあり、SEプラクティショナーの認定を受けるためには一定数のセッションを受けることが条件となっています。
 
 
SEのセッションでは取り組みたいテーマを持ってセッションを受けることもできますが、特にテーマを決めずにその時に現れる身体の反応から進めていくこともできます。
私は最初の数回、自分の中でトラウマになっていると自覚していた出来事をテーマにセッションを受けたのですが、なんとなく今それを扱うことを身体が望んでいないように感じたこともあり、
その時に身体が扱いやすいものから自然と身体が反応していくだろうと、それ以降テーマを持たずに身体におまかせするセッションへと取り組み方を変えることにしました。
 
 
このようにセッションを受け続けていく中で、様々な変化がありました。
 
 
そのひとつは胃腸症状の改善です。
子供の頃から消化機能が弱かった為にとても食が細く、高校生の頃から20代半ばまで百草丸(胃薬)を安定剤のように常用していました。
少し食べ過ぎると気持ちが悪くなったり、ストレスが重なると胃の痛みが出ることが多く、
胃が落ち着かなくて、なかなか寝付けないということも頻繁にありましたが、気づくとそういった症状がほとんど見られなくなっていました。
こうして振り返ってみると、長い間、常に胃のご機嫌を伺っているような生活でしたが、今ではその心配からほとんど解放されています。
胃腸などの内臓は自律神経系の生理学的な状態に影響を受けています。
自分の持つ自律神経系のパターンが変化し、自己調整力が高まっていく中で、長い間ともにあった胃腸症状に変化が見られていきました。
 
 
 
次に自分にとって大きかった変化は、自律神経系のバイオリズムに柔軟性が出てきたことでした。
SE以前には、急にスイッチが強制的にOFFになってしまい、何にもできなくなってしまうことが度々ありました。
外出先で食事をしていたら急にそれ以上ひとくちも受け付けないような状態になったり、
飲食店に入って注文した後、出てくるまでの間に何にも食べられない感じになり、一緒にいた夫に私の分も食べてもらったこともありました。
電車で出かけて友人と会ったり、用事を済ませた後に電車で帰宅している途中に急にOFFモードになり、電車に乗っていられず途中下車して、そこまで家族に車で迎えにきてもらうということも何度かありました。

その当時はその変化の前兆を全く感じることができずに、突然身体のスイッチがOFFになり、調整能力を失う経験を度々していました。
そのようなことが起こる前には、精神的な緊張が続いたり、身体的に負担のかかることをしていたりと、交感神経を高めて対応し続けている背景があり、
その高まった状態をゆっくりと下げながら、落ち着いて回復していくという選択を身体が取れずに、上がり続けて急にシャットダウンする、というパターンで対応していました。
そのような自分の持つ自律神経系のパターンの変化を実感したのは、トレーニングを受けて3年目の頃でした。
 
今から4年前に父が脳梗塞で倒れて入院することになり、しばらくの間、車で3時間ほどの距離にある実家と家の往復を週に何度かするようになりました。
幸いにも身体的な後遺症はほとんどなかったのですが、高次脳機能障害が残り、長期記憶が難しく、理性が以前のように機能しなくなったことで、自分のしたいことを抑えられないといった症状が出ていたため、病院での問題行動を指摘されていました。
それと同時に様々な問題が表面化したことも重なり、母の精神状態はかなり不安定になっていました。
車での往復と、母の精神的なサポートは私にとっても容易なことではなく、心身ともに疲れてしまう日もありました。
 
そんな日々が1ヶ月ほど続いた時に、ふと気づいたことがありました。
「これだけ身体的にも精神的にもストレスがかかる日々が続いているのに、一度もスイッチOFFになっていない。
以前だったら、確実に何度も急な身体のスイッチOFFを経験しているような状況なのに・・・」と。
 
セッションを重ねることで、狭いところに閉じ込められて動きの小さくなっていた神経系が、より大きな動きの中で柔軟性を持ちながら調整できるようになっていたのです。
神経系の柔軟性が出てきたと同時に、交感神経をどんどん高めるように追い込んでいってしまうパターンにも変化が現れていました。
自分を追い込んだり、無理させてしまうようなことをせずに、私の神経系が対応できる限界の少し手前で自分を休ませたり、より快適な選択肢を自然と選べるようになっていました。
最近では、以前のように突然スイッチがOFFに入ってしまうことは本当に少なくなりました。
 
 
 
そして、もうひとつ全く予想していなかった変化がありました。それは20年来の頑固な生理不順が解消したことです。
初めて10代で生理を迎えた時から、定期的に生理がきたことはほとんどありませんでした。
数ヶ月あくことは日常で、半年間止まったことや、1年間こなかったこともあります。
その反対に間が短く2週間くらいでくることもあり、一般的な周期でくることは本当に稀でした。
なかなかの生理不順でしたが、20代の頃に病院で調べた時には特にこれといった原因もわからず、
その当時、通っていた鍼灸院の先生には「そちらへまわすエネルギーが足りていないだけではないか」と言われていたこともあり、そういうものだと受け入れてあまり気にしていなかったので、自分のその体質が変化することは全く予想も期待もしていませんでした。
そんな気まぐれだった生理周期がSEを定期的に受けるようになって1年ほどたった頃には毎月順調にくるようになっていることに気がつきました。
はじめの頃はいつまで続くのだろうと半信半疑でしたが、あれから約5年、そのまま順調なリズムは継続しています。
 
 
 
私の場合、テーマを持たずにSEセッションを重ねていく中で反応として出てくるものの多くが、
発達トラウマと呼ばれる早期のトラウマと思われるものでした。特に言葉と体験がまだ結びついていないような、3歳以前と思われるものがほとんどでした。
 
発達トラウマとは、胎児期、乳幼児期、幼児期、児童期の子どもの発達段階におけるトラウマのことを言います。
 
セッションの中で出てくる反応は、医療処置などの記憶をともなうようなものもありましたが、記憶や感情をともなうものではない「ただ身体の反応と感覚がある」というものが全体の6〜7割を占めていました。
トレーニングの初期に受けたセッションでは、椅子に座って外の景色を見ながら、ただ静かにゆっくりと左右を見回しながら、脊柱が回旋をする自発的な動きに身をゆだねているようなことがありました。
そのセッション後に「今日の反応は、まだ記憶のないような早期のものではないか」と伝えられ、SEや自分自身への理解が今よりもずっと少なかったので、その意味があまりよく分からず「へー そうなんだ」とただ思ったことを覚えています。
 
そのほかに、バーストラウマとよばれる産道を通って生まれる時の動きが出てきて、それを完了させるようなプロセスや、子宮の中で足を使ってそのスペースを押し広げるような動き、臍の緒を抜きたがっているような手の動きなど、胎児期、周産期のものと思われる反応が出てくることもありました。
 
 
 
私を妊娠するまでの母は、結婚して第一子である長兄を産んでから私が産まれるまでの約6年の間に様々な理由で何度も入退院を繰り返していたと聞いています。
大学を卒業して、小学校の教師として働き始めて2年くらいで結婚をし、その後すぐに年子で男の子2人を産み、働きながら子育てをしていくという大きな新しい変化をいくつも迎えていました。
また夫婦関係の問題や、身体の不調が続く中で流産や身体的理由による中絶など、感情的にも大きく揺り動かされるような事が続いていました。

 

母は何事にも全力で向きあい、手を抜くということがあまり得意ではなく、自分を叱咤激励しながら生きてきたまっすぐな人なので、次々とやってくる新しい変化の中で、その多くのものを自分で背負い、その中で強いストレスを抱えていたのではないかと思います。
 
そんなストレスが多い中で妊娠期間を迎えていたことで、お腹の中にいる私もそれを感じ、臍の緒を通して流れてくる血液に含まれるストレスホルモンなどにも敏感に反応していたのかもしれません。

 

私の妊娠期間、母は野菜ばかり欲して食べていたそうです。
兄2人の時はお肉などエネルギーになりやすそうなものを食べていたから、こんな食事でちゃんと育っているのか少し心配になったと聞いたことがあります。
私の食の細さはそんな頃から始まっていたのかもしれません。

 

胎児期の私は子宮という母胎の中で身をゆだねている周囲の空間を通して、また臍の緒を通して、自分に伝わってくるものや流れてくるものに対してとても敏感に反応していたのでしょう。
 
 
 
私たちは胎児の頃に外から感じたストレスなどを手足を動かしたりしながら解消したりするようですが、手足が発達する前に感じたストレスは身体の動きを使って解消することが難しいので、体幹や脊柱にチャージされやすいとも言われています。
 
私の場合、そんな胎児期にストレスを敏感に感じて、解消しきれなかったものを身体に残したまま産まれてきたのだと理解しています。

 
 
 

私の出産後、私が産まれてくるまでの経験から母が無理をしないようにと、父方の田舎の祖母がサポートに入ってくれたので、3歳過ぎまで私の主な養育者は祖母でした。
 

普段は家族と一緒に暮らしていましたが、その生活の中で日中を一緒に過ごしたり、夜一緒に寝るのは祖母でした。また祖母が田舎へ戻る際には私も一緒に連れて行かれていたので、大人になってその当時の話を詳しく聞くまで、私の記憶は幼少期に田舎の家で祖母と二人で暮らしていたことになっていました。
 
基本的には家族と暮らしていましたが、祖母とのつながりの方が強く、その年の頃の子どもにとって、「親と離れる、つながりが薄い」ということの影響は想像以上に大きいのかもしれません。
状況的には両親や祖母に見守られながら育ってきましたが、私の身体感覚や心象風景は20代の頃まで喪失感や孤独感がとても強いものでした。
それは決して不快なものではなく、私の居場所のひとつとなっていました。
自分の外の世界で疲れた時に、そこへ戻り休む場所。
それは、その当時に両親と離れて暮らす中でバランスを取るために作られていった私の神経系の生理的状況から生まれた場所でした。

 
 

3歳を過ぎて祖母が家へ戻った後、しばらくの間、私に吃音が出ていたと聞いています。
一番強いつながりを持っていた祖母が急に居なくなったことで一時的に不安定になり表れたようで、その事を兄が面白がってからかったようなのですが、母がそのことに気がつき、兄に理由を説明して見守るように話したそうです。
その後、いつのまにか私の吃音は出なくなりましたが、
おそらくその当時のものだろうと思われる、自分一人で家族とどう関わっていいのかわからなくて戸惑っているような記憶がぼんやりと残っています。

 
 
幼少期に形成された喪失感や孤独感は、人との出会いや結婚、またSEセッションなどを通して、いつのまにか少しずつ薄まっていき、違うものへ再生されていったように感じています。
今の生活の中でごくたまにその当時の体感を思い出す時、そこは行き場のないようなとても重く静かな世界で、これが私の落ち着く居場所だったころがあるんだと今との違いを感じながら、ずいぶんと遥か遠い過去を思い出すような気持ちになります。

 
 
 
私の身体のシステムにとって、幼少期の周囲の環境は緊張度の高いものであり、その中で大小さまざまなストレスが蓄積されていったのだろうと感じています。

 
このような早期のトラウマや蓄積されたストレスは、慢性的な調整不全を伴うことが多く、いつもどこか生き残りをかけたような反応の中に留まっているので、他の生理学的な機能を円滑に働かせるためのエネルギーは少なくなり、それが続いていくとやがて自分自身を枯渇させてしまうことになります。(実際に30歳の頃、枯渇して大きく体調を崩したことがあり、回復に1年程かかりました。)
 
私の胃腸症状や生理不順の背景にはこのような早期トラウマによる自律神経系の調整不全があり、そこが再調整されることで長く続いていた症状たちに変化が見られていきました。

 
 
 

私たちの身体は想像しているより多くのことを記憶しています。
非言語的な記憶が形成される期間は受胎の瞬間から3歳ころまで続き、その記憶に私たちの「今」は大きく影響を受けています。
しかし、早期トラウマによる調整不全があったとしても、そこへ取り組むことはいつからでも可能で、遅いということはありません。
 
回復への道はいつでも開かれています。
 
身体の記憶によって制限を受けている方が、一人でも多く、その場所から自由になる機会と縁があることを願っています。

 
 
 
・レジリエンスを育む
・トラウマによる解離からの回復
 
こちらは専門家向けに書かれた本ですが、発達トラウマを理解するのにおすすめの2冊です。