生きたように

つい先日、お義母さんを看取られたクライアントさんからいただいたメールにこんな言葉がありました。
(許可をいただいてご紹介させていただいています)
 
 
「人は生きたように死んでいく、
の見本のようなお別れでした。」
 
 
その言葉から、亡くなった祖母や
お仕事で最期の日々に関わらせていただいた方々を
思い出していました。
 
 
 
以前に6年ほど、
お身体が不自由になった
ご高齢の方々のお宅に訪問して
マッサージや鍼灸をご提供し、
お身体のケアやリバビリをする仕事をしていました。
 
 
脳梗塞などの脳血管疾患により
お身体が不自由になられた方や
パーキンソン病など根本的に治療する方法が
見つかっていないご病気の方
末期の癌の方など
さまざまな方がいらっしゃいました。
 
 
 
ほとんどの方とは
病状が進み病院や施設に入られるか
亡くなられるまでお付き合いが続くので
その6年間の中で多くの人生の先輩たちの
最期の日々を見させていただきました。
 
 
 
その中で感じたことが
どのように生きたのかということは
どのように死んでいくのかという
人生の最期にあらわれる
ということでした。
 
 
 
 
 
 
私を3歳まで育ててくれた祖母も
見事な最期を見せてくれた1人でした。
 
 
 
祖母は第二次世界大戦で夫を亡くし
ひとりで3人の子供を育て上げました。
人に頼ることを好まず
とてもきちんとした気の強い人でした。
 
のちに同じように気の強い私の母に
人に上手に甘えることを覚えなさい。と
話したことがあったと聞いたことがあります。
祖母も本当はそうしたかったのかもしれません。
 
 
 
亡くなる93歳まで
子供たちとの同居を拒み
ひとりで暮らし
最期は眠るように亡くなりました。
 
 
 
夜に縁側のカーテンを閉め
朝になったらカーテンを開ける。
それが祖母の日々のルーティーンでしたが
ある日、夜になってもカーテンが閉まらず
朝までそのままだったことにご近所の方が気づいて
家へ行ったら祖母が居ないので
集落を探し歩いてくれたそうです。
 
 
そして畑のワキで
腕を枕にして横向きで寝ている姿で
祖母が見つかりました。
その時にはすでに亡くなっていたそうです。
 
 
庭や畑の雑草をとるのが日課だったので
きっとその日も同じように
畑に草とりに行き
作業しているうちに疲れて
一休みしようと横になって
そのまま眠るように亡くなったのではないかと想像しています。
 
 
モノをたくさん持つことを好まず
亡くなった後に
荷物を整理する時にも
生活に必要な最低限のもの以外にあったのは
小さなタンスひとつだけで
最期まで周りの手を煩わせずに
ひとり旅立って行った姿は
祖母の生きてきた姿そのものでした。
 
 
 
 
その息子である父もすっかり歳をとり
最近、「どうしたものかな・・・」
と家族を悩ませる問題行動が増えてきました。
 
 
 
6年前に脳梗塞で倒れてから
後遺症として高次脳機能障害が残り
理性的な判断をする機能が弱くなっていました。
 
 
昨年の初めにも2度目の脳梗塞を起こし
一時言語障害が出たようですが
すぐにある程度が回復し、
1週間は入院が必要なところを
3日で自ら退院してきてしまうほど体力はある中、
文章を構成する能力や
長期的に物事を見る能力などは
さらにまた少し失っているようでした。
 
 
この2度の脳梗塞により
少しずつ理性の機能が弱まり
現在の父は、
自分の中に起こる衝動のままに
動き回りながら生きています。
 
 
 
さまざまなことをやらかしてくれる父を
この6年観察し、理解を深めてきて感じることは
今あらわれている行動の数々は
病気になって新たに出てきているものではなく
もともと持っていたものなんだ。
ということです。
 
 
今少しずつ失われつつある理性や
社会的な立場、
サポートしてくれる人たちが居てくれたおかげで
見えにくくなっていただけで
もともとこんな風に生きてきた人なんだということが
最近になってよく理解できます。
 
 
そしてやはり思うことは
みんな生きたように死んでいくんだ。
ということです。
 
 
父もまた
祖母とは違った形で
私にさまざまなものを見せてくれています。
 
 
 
 
私が自己調整を続けている背景には
このように人生の先輩たちが見せてくれた姿から
最期は自分の生命力に応じて
枯れるように静かに人生を終えていきたい。
そんなふうに自分の最期を
想像するようになったことも
大きな影響を与えています。
 
 
 
未完了のエネルギーや衝動を
手つかずのまま歳を重ねた時の一例を
父に見せてもらいながら
父から自分に受け継がれている一部に気づき
その果てしなさに途方にくれるような
気持ちになることもありますが
こつこつと取り組みながら
最近は地道な取り組みによる成果が
実感できる機会が増えてきています。
 
 
何より母には70歳を超えていても
人は変化することができるという姿を
見せてもらっているのでいつからでも
遅いということはないのだと感じています。
 
 
 
80歳にしては体力はしっかりとあり、
自分でなんでもやってきた知恵は残されたまま
認知機能がゆるやかに失われつつある父と
私たち家族との知恵比べの中で
これからも父はきっと家族を
なんども驚かせてくれるのでしょう。
 
 
 
理性でコントロールできることが減ってきたときに
そこにあらわれてくる自分の姿はどんなものなのか。
それが少しでも穏やかで平和なものであってほしい。
そう願いながら、これからもこつこつと調整を続けていこうと思います。
 
 
 
美味しかった豆花☺︎