少し前にセッションのご感想をご紹介させていただいたクライアントさんからメールをいただきました。
「数日前、夢に、前々回の遠隔で鈴木さんが感じられたという「おかっぱの女の子」が出てきて、そのとき私が感じていたことを見せてくれたのですが、そのあとから、親、兄弟に対する怒り、みたいなものが沸いて出てきて、どうにもうまく対応できない状態でいます。」
今のプロセスを過ごす助けになるかなと感じたご自身でできることについて、メールでお伝えさせていただいた後にその後のご様子をご連絡いただきました。
ご了承を得てご紹介させていただきます。
ありがとうございます。
教えていただいた「肝」の養生を試してみると、怒りを抱えつつも、どんどん冷静になっていく自分を感じていきました。
そして、脳裏にあらわれてくるいろんな場面で、「どうして私はこの場面で、怒り、を感じているのだろうか?」という疑問が自然とわいてくるようになり、その疑問をもったまま過ごすようにしてみました。
そして、いきあたった答えが、
「私は、寂しかったんだ!!」でした。
寂しかった、という気持ちにいきあたると
ふうーっ、と長くゆったりとした息を吐きながら身体の力がどんどん抜けていきました。
そしてここ数日、ああ、寂しかったんだ、
私は寂しかったんだ、何度も何度も繰り返し
その言葉がわいてくるままにして、そうするときに出てくる体感を味わっています。
寂しさ、の居場所を自分の中につくっていなかったという今回の気づきは、自分でも本当に驚くことでした。
最初にそれに思い当たったときには、妙な表現ですが、「えっ?ほんまかいな?!そんなことってあるんかいな?!」
私のエセ大阪弁で表現すると、こんな感じでした。
そしてすぐに、自分の存在のうんと深いところから、「やっと気が付いてくれたんだね…」
という安堵の気持ち、言葉に尽くせない喜び、みたいなものがふつふつとわいてきて、今もそのただ中にいます。
きっと、生き抜くために、寂しさにしっかり蓋をしていたのですね。そんな健気な自分を今は本当にいたわってあげたい気持ちでいっぱいです。
そして、これは、自分一人では絶対にたどり着けなかった境地で、鈴木さんとのセッションを続けてきて、SEでいただいたお言葉を心に留めておきつつ日々を過ごしたり、遠隔でのメッセージを折にふれて読み返したり、的確な手あての方法、家に関してのアドバイス等々を着実にこなしてきたことの結果だなあ、とつくづく思います。
本当に有難うございます。
子どもとの関係も、自分の中に寂しさという感情を自覚していなかったのですから、当然子どもの寂しいという気持ちをキャッチできていたはずもなくて、なんとも複雑な気持ちがわいてきますが、今からでも遅くはないと信じつつ、またひとつ良いほうに進んでいけることが見つかった、と前向きにとらえていこうと思います。
身体のほうですが、特にここ数回のセッションで中心軸がまとまってきた、というか、ねじれていたからだが徐々にほどけて、前半身と後半身とのなじみがよくなっていっているような感触、それにつれて足の着地がどんどんしっかりとしていっている体感があります。