圧から離れる

何回かCS60を受けられていたクライアントさんが、初めてイールドワークを受けられた時に
 
「すごい贅沢な時間だった。
仕事やそのほかでも、強い刺激に慣れている日常の中で、こんなにただ休んでいいと言われることってないから、こんな時間を持てたことがすごく贅沢な感じがする。」
 
 
そう話されているのを聞いて
イールドについて学び始めた頃に参加したワークショップで、同じような感覚になったことを思い出しました。
 
 
ワークを受けながら自分の休息が深くなるにつれ、
こんなに誰かに見守られながら、
ただただ休んでいい。
と言われる(実際に言葉で言われるわけではないのですが、お互いの存在、空間や身体を通したコミュニケーションにおいて、何を強制されることもなく、ただそこに居ることを許されている、ただ居る、それ以上のことを何も求められない)経験って、
日常の中でなかなかないことだなと感じていました。
 
 
 
 
その方がセッションを受けられて1ヶ月ほどたった頃に、セッション後に感じた様々な心境の変化を伝えてくれました。
 
仕事への取り組み方や、
子供達への思いに変化が見られ
どこか見ないようにしてきた無理ができなくなり
人間関係において以前のように関わることが難しくなってしまった人が出てきたと、自分の周囲の様々なものとの関係性の変化について話されていました。
 
 
 
 
私たちは日々の生活の中で大きなものから小さなものまで様々な圧を受けながら生きています。
 
 
社会的状況や仕事における役割から、
人間関係の中で家族や友人など周囲の人から、
また自分から自分自身へ。
 
 
こうした方がいい
これをするとお得
こうしたら成功する、など
私たちに何かしらの行動を促すような情報に溢れた日々のなかで、「being」よりも「doing」に価値が置かれ、何かしないと価値がないと、常に成長し何者かにならなくてはというプレッシャーを社会から、
そして自分自身からも受け、それに対峙する日々。
 
 
 
その圧から自由になり
身体を通して深い休息や安心を体感するときに
浮かび上がってくる
その人本来の姿(動き)があり
そこに立って初めて見えてくる景色があります。
 
 
 
いつも対峙している圧から離れる。
イールドのセッションは、そんな場を提供してくれるものでもあります。
 
それは、イールドのセッションにおいて、イールドによる変容が起こる前提となる「身体が安心を感じる」ことができる場の構築に「間/間合い」を取り入れていることが関係しています。
 
 
 
 
新しい変化を迎えている世界の中で
今大切なことは新しく何かを付け加えたり
足りないものや空白を埋めようとすることではなく
余白を自分に用意し、
そのスペースの中で本来の姿を思い出し、
自分へ戻っていくことなのではないかと感じています。
 
 
自分の身体が表現するものの一番の聞き手になり
その声を体現していく中にそれぞれの個性が表れ
その個性が豊かに表現されることが許容されていく社会になっていくことを願いながら
これからもこつこつとセッションを続けていきたいなと思います。
 
 
 
 
 
 
「大豆田とわ子と三人の元夫」
4話のかごめちゃん最高でした。