佇まい

少し前に武術研究家の甲野善紀さんがホストとなり
ゲストを招いてこれからの教育を考察する
「これからの教育実践ゼミ」をオンラインで視聴しました。
 
 
 
そのお話の中で甲野善紀さんが
「(今回のゲストの)お二人のお顔おを拝見して私の話に頷かれているのを見ているだけで、自分の中にあった問いが、やっぱりそうかと答えが見えてくる。」
と話されているのを聞きながら
以前に一度、ワークショップに参加した際に
甲野善紀さんのお姿を拝見し
佇まい、身のこなしが現代人のものと全然違い
人の身体の可能性に新鮮な驚きをおぼえたことを思い出しました。
 
 
 
自分という存在を通して
自己と向き合っている方たちは
その佇まいから
多くのものを伝えてくれます。

 
 
身体を通してご自身を生きている方たちの佇まいに触れるとき
そこでは言葉のやり取りはあまり必要ではなく
静かに自己との対峙がうながされ
その中で気づきの流れが自然とうまれていくことがあります。
 
 
この対話の中にもそのような交流があるように感じ、
オンラインを通して私もその交流に参加させていただいているようでした。
 
 
 
 
 
今回のゲストは、
星山海琳さんと吉田晃子さん親子。
 
星山海琳さんは、小学校に入学してすぐに学校教育へ数々の疑問がわき、
小・中・高へ通わず、一切の勉強もしてこなかったそうです。
17歳のとき大学へ行くことを目指し、2ヶ月半で高卒認定試験に合格し、現役で大学へ入学された方で
今は教育や子育てに関心や悩みのある方々の相談やサポートをお母さんとともにされています。
 
<オヤトコ発信所>
 
 
みなさんが子どもに対する信頼について話されているのを聞いていたとき
そこに感じた空間はとても広々としていて
自分が今まで信頼としてきたものは
自分の不安や期待が投影された
随分と窮屈なものだったのだと知りました。
 
 
こんなふうに
自分や周囲の人や世界に対して
信頼というものを持っていられたら
どんなに自由で風通しがいいのだろう。
そう感じながらお話を聞いていました。
 
 
 
 
吉田晃子さんは、
子どもが生まれた時に
この子をどう育てようか?とか
こんなふうに育ってほしい。という発想がなく、
生まれてきたこの人とこれからの人生がどのように紡がれていくのだろうか。
どのように揺るぎない信頼、揺るぎない架け橋を
かけていくのか、かけ合っていくのか。
それがただ楽しみだったと言います。
 
子どもがオリジナルに洞察していくことを見ているのが楽しくて、子どものことをドラマを見るようにただただ見ていた。
そして、自分がいる場所や、これから生きていく世界をオリジナルに洞察していくのを邪魔しないでいたそうです。
 
 
このようなお母さんのもとで育った星山海琳さんは、
6歳の頃にこんな日記を書かれています。
 
 
ぼくたち、わたしたちは
大人もそうだけど
じぶんのこころは、
こころなんだ。
じぶんのこころを
たいせつにするんだ
ぜったいに、
じぶんのこころを
人のこころを
人があやつることはできない
 
「不登校になって伸びた7つの能力」より

 
 
 
この言葉たちからも自分という存在が
そこにただそのままいることが
尊重されている、されてきているのを感じます。
 
 
 
 
 
後日、自宅で犬たちとのんびり過ごしていた時に
私の側で1頭が急に何かにびっくりしたように動きを止めて固まりました。
 
2頭の犬と暮らしているのですが
そのうちの1頭(ソラ)はとても繊細でソラの反応しやすい
ちょっとした違和感に敏感に反応し
驚きの表情とともに固まることがよくあります。
 
その日もいつものように固まっていて(凍りついていて)
「どうしたのかな?
 大丈夫かな?」
という気持ちで見ていました。
 
その時ふと吉田晃子さんの言葉を思い出し、
こちらの見ている意識を
「この子はこの状況に
 どんなふうにオリジナルに対応するのだろう?」
と変えてみたんです。
 
 
そんなふうに少し見方を変えてみたら
ソラと私の関係性がふっとゆるみ
ふたりの間の空間にもスペースがうまれたように感じました。
 
そして、ソラはいつもよりずっと短い時間で凍りつきから出て、普段の姿に戻っていきました。
 
 
大丈夫かな?と心配の目で見ていたとき、
私の不安がソラに投影され
私とソラは一体となっているようでしたが
この子はどうするのだろう?と
自分のフィルターを経由しない目で見たとき、
そこにはソラと私、それぞれの個が存在していて
シンプルにソラの反応とそれに対する身体のプロセスがあり、動きがただ通り過ぎていきました。
 
 
普段こんなにも、
目の前で起きる出来事に自分の思いやドラマをのせることでそこにあるものが見えなくなっていたり
流れを滞らせ、制限させているのかとちょっと驚きました。
 
 
心配の目で見られることが得意ではなく
そんな目を向けられると
相手の世界に自分が集約されていくような窮屈さを感じていた理由がわかりました。
私も無自覚にそれをしていたんですね。
 
 
動物や子どもなど
感覚的で敏感な存在たちは
よりわかりやすく反応を表現してくれるので
自分が今どんなふうに存在しているのか
とてもよく教えてくれます。