居場所

小さな自尊心

 
風が吹けば飛んでしまいそうなほどの軽さで
存在していた。

 
どこか心もとなくて
自分がここにいていいのかもわからず
いつも身近には孤独感や喪失感があった。
 
 
その存在の軽さに重しをのせる方法が
人を喜ばせることだった。
 
喜んでもらえることで
自分の輪郭を感じることができた。
 
 
そうしてようやく
少しだけ居場所を見つけられたようで
ほっとしていた。
 
 
でも自分の自尊心は軽いままだったから
外からの重しがいつも必要で
周囲の喜びばかり考えていた。
 
自分が生きていくために。

 
 
 

ただ存在していていいという
居場所
それをずっと求めていたのかもしれない。
 
 
存在するための意義なんて必要なくて
何者でもないまま
いられる場所。
 
 
そんな場さえあれば
人はたくましく自分の力で
生きる方法を見つけていく。

 
 
傷ついたとしても
必要な時間をかけて自ら回復していく。

 
 
 
 
 
「nest」には、「巣、すみか」という意味のほかに
「居心地の良い場所を作る」
そう表現する時にも使われることがあるとずいぶん昔に耳にしたとき、自ら作っていくという動詞として使われる、その表現がいいなと心に残っていた。
 
 
 
それぞれの方が
心地の良い居場所を
自分自身の中に作っていく
 
 
そのためにちょうど良い場が提供されたら
その方自身の調整力で
その方に必要な時間をかけながら
ゆっくりと本来の姿へ戻っていく。
 
 
入り口も出口もおおらかに開かれた
そんな場を提供していきたい。
 
 
最近、改めてそんなことを思う。
 
 
 
 
 
「居場所さえあれば
どんな変革も
強制や排除なしに起こせるはずです。」

 
 
少し前に読んだオードリータンさんの本の中にこんな言葉があった。
これは社会システムの変化においてだけではなく、身体システムの変化についても通じることだと感じている。